切迫早産で緊急入院後久々に社会復帰したヲタクのブログ

主に切迫早産レポ(?)を書きたい。気まぐれ更新。

手術の話(一度目)

割と健康に生きてきた私、点滴の経験程度はありましたが(胃腸炎)、手術となるとこれが初めての経験でして。

 

入院して2日後、血液検査の結果細菌の値が下がってまして、次の日手術室が空いてるからと手術の日程が組まれました。子宮口を縛る手術です。

勿論麻酔などもするので、主人がすぐに駆け付けられるようにと病院に呼ばれました。コロナ禍なので、手術前後に少しだけ顔を合わせた程度ですが。多分、病院の関係者も気を遣ってくれてのことでしょう。不安だろうからと。

 

この程度で不安がどうにかなるほど私のメンタルは強くなかっただけで。

 

注射嫌いな私、麻酔の注射なんて怖すぎるし、そもそも手術とかグロいの全く駄目なのに乗り越えられる気がしないとずっと震えてました。そして麻酔の注射を刺された時に動くなと言われてたのにビックリして動いてしまい、麻酔科医の先生に怒られました。ビックリしたんです、すみません……いや、マジですみませんでした。

いい歳した大人なのに、看護師さんにちょっと手を握っててもらったりしつつ、母は痔の手術の時に寝ちゃったとか言ってたんですけどねあははって話していたのですが、妊婦って手術の時に寝ちゃ駄目らしいですね。なので局部麻酔だけで、寝ないようにしなきゃらしいです。産気づいたら力まなきゃだからか?でもこの時はうちの子、横向きだったんだけどな……(このまま産気づいた場合は帝王切開になりますって言われてたので、その同意書も提出済み)

麻酔は痛いですが、手術自体は勿論全く痛みもなく、記憶が曖昧なのですが時間もそんなかかってなかったんじゃないかなと思います。麻酔がきれたあと、手術で縫ってるのもあって子宮の収縮が結構痛かったような記憶……多分一番ここが陣痛以外ではお腹の中では痛かったと思います。

 

麻酔をしていたので、足に感覚がなく、それをとるためなのか筋肉が固定されないようにするためなのか、足を揉みほぐす機械?みたいなのを装着されました。これ、最初は気持ち良かったのですが(それこそライブ後はこれあるとめっちゃ気持ちいいだろうなと思ったり)(推しがスタンディングライブをするから)、段々と痛くなってきて、ちょっとつらくなってきました。2度目の時は言ったら朝には外してくれたので、この時も言えば良かった。

あと手術後なので、心拍と酸素濃度を測るものを装着してたのですが、あの指に挟むやつ……ここで実は少し問題が

 

ネイル、してたんですよね、ジェルネイル

 

普段はね、してないんですよ。ネイル面倒くさいし。でも実はこの1ヶ月半くらい前に結婚式挙げてまして。一度くらいはちゃんとネイルして、結婚式したいなと思ってて、ジェルネイルにチャレンジしてました。落とした方がいいのかなと思いつつ、削り落とすから爪ガタガタになるだろうし、もう少し様子見しようかなと思ってた矢先の入院。看護師さんにもしかしたらちゃんと測れないかも……と言われつつ、普通に何とか測定できたので良かったのですが、危うく相当大変な苦労を看護師さん達にかけるところだったので、やっぱり妊娠中くらいはちゃんとネイルとか落としておいた方が無難だなと思いました。多分もうやらないし、普通のネイルも暫くしないかな……

 

この手術の教訓がネイルは落としておこうっていうのは何なんでしょうね……

ペッサリーの話

表題の医療的な話ではなく、使用感の話なのですが、装着する時に関して言うなら

 

まあまあ痛いです。

 

女性の膣に関して聞くのは(脱力時)指1本分くらいなら痛くないそうなのですが、ペッサリーを装着するとなるとそれだけの幅では足りず……なのでまあまあ痛いです。麻酔もしません。時間はそれほどかからないので我慢できないこともないけどっていう感じです。

 

ですが、こと使用中に関して言えば全く何も違和感がありません。よほど尿道カテーテルのが痛いし違和感あります、はい。2ヶ月くらいつけてたんですが、全然日常には違和感なく過ごしていました。なので、これで少し切迫早産が早産にならずに済むなら全然ありだなというのが個人的な感想です。一意見として少しくらい参考になればなと。第二子の時はとりあえずこれかまた縫い付けておきたいなと思う今日この頃です(まだ作ってないけど)

 

頭が痛くて早起きした朝。我が子は今日も可愛いです。

血液検査の結果はどうした

転院先に着いて早々分娩台に運ばれたのが私です。

勿論、先生から内診されたのですが、1cm開いていた筈の子宮口がほんの少し閉じていたのです。数時間後に分かるのですが、膀胱に尿がたまってると閉まるみたいで……そうなるとどうなるか分かりますか?はい、尿道カテーテルですね。

 

カテーテルの話は少しおいておいて、まず先生、ちょっと怒ってます。血液検査の結果がないことに。当日の結果がなかったのか、そもそも持ってきていなかったのか……とにかく以前の病院に連絡したのか何なのか記憶がそのへん曖昧なのですが、実はこの時の私の血液は細菌の値が高かったのです。すぐに手術しても良いように、手術用の太い点滴針を右手の甲に刺されていたのですが、細菌の値が高いと手術はできないそうで、そこで先生から言われた選択肢が2つ。

・保険適用外だけどペッサリーを使って子宮口を覆っておく

・覆わずに細菌の値が下がるまでどうなるか分からないけど、値下がるまで待って手術

ペッサリー自体は欧米?では既によく使われているものらしいのですが、日本ではまだ使用例も少なくこの病院でも13例目くらいになるとか何とか……正直子どもが今産まれないでくれるならどんな治療でもいいものの、保険適用外と聞くとやはりお値段は気になるもの。貧乏人だもの……大金は払えない……

しかしこれが1万円と聞いて、入れる時はちょっと痛いとか聞いても、即答でしたよね。

 

部屋に案内されて云々とかその時の気持ちとかはまた別記事で書こうと思うので、この記事では当日の治療の経緯を思い出せる範囲で書いていきますが、まずリトドリンの点滴+ペッサリー、日に数回の抗生剤投与、子どもがすぐ産まれてきてもいいように、ステロイドを筋肉注射で注入。そして子宮口が開かないように尿意の我慢と、トイレにさえ出歩けないので尿道カテーテル。それでもお産が止まらなかったのか、その夜にとうとうマグセント投与開始。

 

このマグセントが本当に痛いのです。冗談抜きに。これ子どもの為じゃなくて自分の為だったら抜いてくれって言ってたと思う程度には。

 

氷嚢必須だし、普通に発熱もするし、とにかくこの晩はつらかったです。その夜は陣痛室で一夜を過ごしたのですが、この陣痛室、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるんですよね。痛いのもあるけど、自分の子はこんな風に泣けるのかなとか。アトピー持ちとかリズム感ないとかもあるんですけど、自分の身体が思うように使えなくて(よくある話ですが)、ここでも自分の言う通りに身体は動いてくれないのか、少しでいいから私の言うこと聞いてくれよってずっと思ってました。あの夜が一番つらかったかもしれない。

 

ちなみに主治医の先生、当直だったみたいで、別の運ばれてきた妊婦さんも隣で対応してたんですが、基本塩対応な先生なので、妊婦さんから「あの先生は嫌だ」とか聞こえてきて、な、何もそこまで言わなくても……ってなってました。確かに塩対応なんだけども。

 

さて、そろそろ寝ないとどちらにせよ明日に響くな(※現在2時半近く)

そして転院

さてお待ちかねの月曜日がきました(?)

なるほど、ここの病院は女医さんなのねと思いつつ、内診台が良かったのかはたまた腕が良かったのか、この女医さんが一番内診痛くなかったです。内診台の乗り方についてはまた別の記事で書こうと思うのですが、あの一般的な内診台チビにはデカすぎます。あれ、結構最初の座り方大事です。

 

子宮口が1cm開いてる

 

当方、初産だったのでどんな風にお産が進むのかは情報で何となくしか知らないのですが、大変な状態であることは分かりました。

この病院にはNICU(小児用の集中治療室でいいのかな)がないから、別の病院に転院になる。手配をするから、3つほど市内にあるからどこの病院がいいか、と聞かれました。勿論ですが、即答できるほどの知識も、また頭も回らなくて、とりあえず洗濯などは実母に頼む予定にしていた為、実家から近い病院に空きがないか確認してもらうことになりました。

 

転院するから荷物をまとめて、救急車の手配が終わるまで待っててと言われ、仕事中の主人に取り急ぎ連絡、すぐ駆け付けるとのことだったのですが、職場が遠くて高速に乗っても30分以上かかります。この病院はたまたま全室個室だったのですが、次の病院はそうではないかもしれないと思い、実母にも電話で連絡しました。

 

もうね、心が弱い私はずっと電話口で泣いてました。

 

25週で産まれても、90%以上は命を助けてもらえるからと強がりながらも、本当に産まれてしまったらどうしようかと不安で不安で仕方なかったです。何か悪いことしてしまったのだろうか、動き過ぎていたのだろうかと……

 

私の症状は、子宮頸管無力症でした。これって母体由来のもので、子には全く非がないものなんですよね。

 

自身を責める必要はないんですよ、本当は。誰が悪いわけでもないのだけれど、自分のせいでこの子を命の危機にさらしてしまう、障がいを抱えて生まれてきてしまうかもしれない、そう思うと怖かったです。どうしたらいいんだろうと泣いて泣いて、そうこうしているうちに主人が到着し、救急車に乗る時間になりました。

 

話変わって、救急車って乗ったことあります??私はこれが初めてで

 

まず車輪付きのベッドで出入り口付近まで仰々しく運ばれ(めっちゃ受付の前通るやん)、せいの!という合図で救急車の担架に乗せ替えられ、初めての救急車です。初体験過ぎる上に、身体は著しく元気なので違和感がすごい。涙が引っ込みました。

そして救急車、寝心地悪いです。めっちゃ揺れるやん……

 

揺られること10分くらいか、これから長くお世話になることになる病院に到着し、そして救急隊もどこに運んだらいいんだ……?みたいな雰囲気に。あ、ドラマみたいにそんなスムーズではないのね……??

 

そして先生と私、運命の出会いにーーーー(特にロマンスなんかは全然ない)(先生から運命でもない)

切迫早産の入院は本当に突然に

後々に主治医に確認したところ、妊娠中期にお腹が痛むことは軽くでもないと言われたので、不安な方は絶対病院行きましょう。何もないならOKなのです。

私の場合、妊娠初期から軽く生理痛未満?みたいは痛みがあって、それが通常の検診日の前日ちょっとあったんですよね。まあそんなもんかなぁと思ってたんです。

検診の日は土曜日でした。フルタイムで働いていたので、土曜検診できる産婦人科に通ってまして、3週に1回くらいの割合の頃でしたっけ?(記憶が曖昧)主人に車で連れてきてもらい、自分だけ中に入り、久々の内診でした。いつも通り終わるだろうし、帰りはアカホン行ってみようなんて考えてたり。何なら次の日ミュージカル刀剣乱舞も観に行く予定にしていたのです。今考えるとやっぱり若干悔しいチケット笑

産婦人科の先生に、ちょっと子宮が下におりてきていると指摘されました。個人病院だったので、本当に大丈夫かどうか判断つかないから大きい病院に行ってほしい。土曜だから午前中しか受け付けていないかもしれないけど、病院に連絡して紹介状書くから早くそっちに行くようにと。

こう見えても割と健康に生きてきた私としては、本当に初めての経験で(そうあってたまるか)、どうなってしまうのかと震えた記憶があります。とりあえず主人に連れていってもらって、実家の母にも一応連絡して……自分の命が危険にさらされた経験がないのでこういった言い方はおかしいのかもしれませんが、自分の抱えている別の命に対する責任がどっと押し寄せてきて、いい歳してべそべそと車の中で泣いていました。いや、泣いていいんですよ!皆、つらい時は泣いていいから!

病院に着いて、血液検査はしたけれど、土日なので結果は月曜にしか分からなくて(これがまた後にあたふたする羽目になるという)、やはり子宮頸管が短くなっているという診断を受けました。2cmをきったら入院らしいんですが、私の場合9mmだったので全くお話になりませんね。問答無用で入院、絶対安静の日々が始まりました。今まで普通に歩いてて、自分に力もあるのに車椅子で移動することに。この違和感、多分同じように入院した人にしか分からない気がしますが、身体はいたって元気なんですよね。なのに車椅子での移動はすごい違和感と同時に、最初は「それだけ大変なことになってるんだ」と震えました。

 

早速点滴治療が始まるのですが、悲しいかな、私の血管は細くて蛇行してたのです……最初からうつ場所が見つからなくて、そこの病院は若い看護師さんが多かったのもあって、なかなか良い血管に刺さらない笑 私の屍をこえて、うつ場所分かるようになってね……みたいな心境です。後に転院することになるのですが、マジでうつ場所ないっぽい(でもベテランの人は比較的刺し方上手い)です。でもこれが3ヶ月近く続くことになるとは……

でも最初はつらくなかったんですよね、点滴でも。多分自分の病気泣いてたと思うんですが、お腹の子を守る為なら別に点滴くらいって思ってましたし、後につらいなと思ってもやめてくれとは思わなかったです。厳密には先生から言われてないから必要ならしてても耐える、が正しいのですが。

 

でも母だから耐えられるわけではないんですよ。母なら全員耐えられるわけじゃない。ただ私は自分が抱えている生命に対して、自分には責任を負えなかっただけです。諦めて、失ってしまう勇気なんか1つもなかっただけ。母性があって耐えたわけじゃない。1人の人間として、ただただ自分が抱える生命を、自分のせいで壊すのが恐ろしかったのです。

 

でも耐えられないのが悪いわけではないし、程度は知りませんが、もう無理なので外して下さいって言って退院したけどすぐに出てこなかったと言われてる方もいたので、どういう決断を母体がするにしても気にしないで下さい。無理なものは無理なのです。私も最終的には正期産だし、テープがいよいよ痒いのでどうにかしてほしいって言って外しました(そして産まれたのがこの子ってわけ)

 

とにかく詳しい診察は月曜日って言われ、その旨を会社に連絡したり、実母に連絡したりしてました。もしかしたら子宮口も長くなってるかも?そしたら入院そんなに長引かないかなとかポジティブに考えてたり。

 

まあ幻想だったんですけどね( ◜ᴗ◝) 当時の自分にはやっぱり言えないけど、君3ヶ月入院することになるよ……

切迫早産、治療にあたり

くどいようですが、私は医者ではないので、こうがいい!これは良くない!と決められる立場ではありません。あくまで一例程度に考えてもらえるといいと思います。 同じように入院されてる方は自身の主治医を信じましょう。私も、大変無愛想なめちゃくちゃベテランな先生で、他の先生と違ってあまり褒めてくれる人じゃなかったけど、主治医を信じて何とかなりました。ネットで公開してるブログで何言ってんだって感じなのですが、ネットの知識より現場の先生が一番正しいと考えて良いと思います。

 

あくまで一例として、

・リトドリン(こいつとは産まれる寸前まで長い付き合いとなる)(これを直前までいれていたので子どもは低血糖で産まれてきたものの、4日くらいで母子同室→一緒に退院)

・マグセント(リトドリンでは止まらなかったので、1ヶ月近く入ってた所謂妊婦殺しのめちゃくちゃ痛いやつ。これうって耐えた妊婦は皆えらい!花丸!)

・ペッサリー(保険適用外治療になるが、所謂子宮口に嵌めるカバーのようなやつ。認可外とは言っても1万円くらいなので、マジ医療器具代かな?ってくらい)

マクドナルド法(所謂子宮口を縫い付けるやつ。私はダブルマクドナルド法だったらしいと医長回診の時に初めて聞いた←)

 

上記のようなこういった治療をしていました。

点滴のつらさとか手術の怖さとかまた別の記述で書こうかなと思いますが、だいたいこういった感じです。ペッサリーをするに至るまでを経緯を書くとまた少し長いような、そうでもないような気もするのですが、無くても(普通の人なら)大丈夫なんじゃないかな?と思います。そもそもペッサリー扱ってるのが、私の住んでる田舎の都市ではここしかなかったので、本当に搬送先の運もあったのかなと思います。

 

多分なんですけど、身になりそうな話はここまでなんですよね。これあって良かった!とかこれはいる!とかも無いこともないけど、この記事読む切実な人に必要な情報はここまでというか、ここからは経緯とか私に起こったことを気まぐれに更新していこうと思うので、気晴らしと、多少の共感があればいいかなと思います。

 

どうでもいいけど眠れません。゚(゚^ω^゚)゚。 明日も早起きして旦那の弁当作ったり洗濯したりとかもあるんだけどな!

妊娠25週で切迫早産で緊急入院になった女

はじめまして。こんなタイトルの記事を見た方はいつかの私と同じように検索魔になってる方かもしれないし、そうでないかもしれない。とりあえず仕事復帰のこと考えると夜も眠れなくなってきたので、いつかは書きたいと思っていたことをブログにしてみようと思います。

 

結論から申し上げます。病院の皆さんのおかげでちゃんと37週1日で産めましたよ。今1歳半近くなって、多少言語に数ヶ月遅れがあるけど、普通の子と同じ程度の悩みで、元気に生きてますよ。

 

これを切実な気持ちで見てる人の気持ちが少しでも軽くなるように、最初にこれを書いておきたかったのです。私もめちゃくちゃ不安でした。25週0日で子宮頸管9mmくらいしか長さ残ってなくて、その2日後くらいには子宮口1cm開いてたんです。そんな症例、ネットで一生懸命探しても、全然出てこなくて、無事産めましたって報告はだいたい30週こえてて……

 

同じような人が、同じように産めるかなんて、医者じゃないから私には分かりません。でも怖くて眠れない人が少しでも安心して眠れるように、少しでもお力になれたら幸いです。かなり記憶が曖昧になっている部分もありますが、次の記事で簡単に治療法も書いておこうと思います。